嫁たちの解放運動 3
次に私は次、三男の問題を経験することになります。
次、三男は、昭和30年ころ、村の中に潜在失業のかたちで本当にウヨウヨしていました。
ムコ、養子になる口を探すには宝クジに当たるよりもまだ難しいと言われたほどでした。
公民館で次、三男の人たちの会をつくったのは、この人たちの就職口を探す運動でした。
当時、次、三男たちの悩みは深く、笑い顔を見ることもできないし、下ばかり向いて、気力がないと言われていた。
その下ばかり向いている人たちが会をつくると、同じ悩みをかかえる仲間が集まるようになると、自分一人だけでない、手を結んで自活の道を拓こう、と自覚が高まり、活発になり成長するわけです。
昭和34年に結成された次、三男会は、池田内閣の所得倍増政策がはじまり、工業関係の求人が急増して次、三男たちに就職口があちらこちらから迎えにくるようになり、村の中に次、三男がいなくなり3年後に解散してしまいます。
そのころから農村では逆に人手不足になり、急激な大きな変化が出てくるわけです。